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「赤いサリーの女」ネパールの味最終編

私はやっぱりネパール人にはなれないのだ。

日本人はとっても他の環境に弱いのである。

いつからこうなってしまったのだろう・・・。

 

昔の日本人はこうではなかったはずなのに。

豊かになりすぎたのかもしれない。複雑な感じだ。

 

田代まさしが言ったのである。

なぜあの店で食べたのかと。

 

私は、ネパール人が食べるものを、ネパール人のように食べたかったのだ、

と言った。

 

そうすると彼は、

「じゃあ、一緒に私の家で食べよう」

と片言の日本語と英語とネパール語のコラボで言ってくれた。

 

そして彼の家で食べた時がこれだ

090625-1.jpg 

なぜか左端に本郷猛が写っているような気がするのだが・・・。

田代まさしのように、不浄の手である左手は使わず、

右手のつまむようにして持ち上げ、

親指で口の中に押し込むようにして食べたのである。

 

そのあと、アパートの人たちを紹介してくれて

みんなで記念写真を撮ったのだ。

090625-2.jpg 

 

これこそ、何十年か前の日本の姿だ。

あたたかい、誰もが家族のような、・・・。

 

この先、きっと忘れることのない光景だ。

 

ネパール人にはなれなくても、

ネパール人の仲間になれたのだ。

 

「ノウダラの女」から始まったネパールへの旅、

カトマンズ、ナガルコット、バクダプル、

歌に出てきたポカラ、アンナプルナ、強烈な腹下し、

そして、最後に出会ったネパールの心。

 

私はきっと忘れない。

 

河島英五とともに。

 

 

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「赤いサリーの女」ネパールの味編

んーーまい!10

これは、これは、ホントうまい!9

 

モモが特別においしかったのか、気分に負けておいしかったのかは、

定かではないが、361

んーまい、のである。

何度も言うが、うまい、のではなく、んーまい、のである。

 

これぞ、本当のネパールの味。

現地人の味、

と勝手に思っていたのである。

 

うまいものを食べると、ぐっすりとよく眠れるんだなこれが。

 

そして次の日、

・・・・・・・・・・12、・・・・・・・・・・12

 

おかしい、なぜか体が動かない。

夢なのだろうか?

ううっ、うううっ、13

 

なんと言う病気なのだ?

もしかして、ここで私の命も終わりを迎えることになるのか361

ああー、

 

遠く離れた、このネパールの地で倒れ、12

そして、ガンガーのほとりで焼かれ、13

やがて灰となり40、母なる川ガンジスに流されていくのか・・・。39

私の運命はこうなるようになっていたのか?

「ノウダラの女」の歌は最初からこう言うことを、

予言していたのか?

短い人生だったが、これで良かったのか?

お世話になった方々、本当にありがとう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

ん、待てよ、

私には、こ、抗生物質が、

これで大丈夫。

ハッハッハ。

 

苦しみながら、1日が過ぎ、

 

グルジィ~、12

効かない12、抗生物質が、

なぜ、・・・。13

 

後になってわかったことだが、

これが、噂に聞く腹下しである。

インド・ネパールに行くと誰もが洗礼を受けると言うものである。

日本の正露丸などの胃腸薬は全く歯が立たないのである。

 

私は、ふらふらな体の最後の力を振り絞って、

田代まさしの家に駆け込んだのである。282

 

そのあとのことはあまり良く覚えていないが、

診療所100に連れて行ってもらい、

ネパールの薬を、

現地人の飲む本当のネパールの味を味わったのである。

複雑な感じなのだ。

 

原因は、一人勝手に入った食堂のモモが原因のようだ。

現地の人は大丈夫でも、旅行者はよくやられるそうだ。

 

やっぱり、私は日本人、お金持ちな旅人だと思い知らされたのである。

 

帰って来たのだ!

入口の横のレジ台の上には手作りのパンが、

山のように積み上げられている。16

 

こ、この出だしで、始まるのはもしや・・・、

 

そうなのである、

これは、帰ってきた「赤いサリーの女」の続編である。

地元の人たちが、ひそかにもっとうまいモモを食べているのではないか?

という疑問を持ち、確かめに行くところである。

 

この入った店は、私が選びに選んだ店なのであるが、

入口の横に積み上げられたパンの上には、

今にも「飛び立ちます」と言うようなハエ君が芸術的な恰好で、

シュガーパックされているのである。11

ぬぬっ、ここのシェフはなかなかやるな!

この芸術的な固め型、素晴らしいではないか。

 

と、感心するはずもない。

しかし、このときは私はそんなに驚くこともなく、

この店を軽蔑すここともなかった。

 

なぜかと言えば、在ネ日本人だからである。

 

実は、カトマンズについてすぐ友達になったネパール人がいた

それが彼だ。155

090619-1.jpg

彼は私とお茶を飲もうと言ってお店に連れて行ってくれたのである。

その店でも、同じような芸術的なシュガーパックドflyを見たのである。

彼はそれを見ると、

「またか、フッ」と言うような表情で、人差し指で弾き飛ばしたのである、12

 

それはそれは、弾き慣れた、とてもスマートな紳士的な振る舞いであったのである。

これこそが、ジェントルマン・オブ・ネパールか?

と思ったのである。

 

だから私はそんなに驚かなかったのである。

ここは、ネパール、カトマンズである。

日本とは違うのである。

しかし、なれれば日本とそう変わらないのである。

 

話は少しそれたが、

店員が何を食べるか聞きに来たのである。

 

私は迷うことなく、モモを注文したのである。

モモの中でも私が一番好きになったのがボイルドモモだ。

つまり、日本で言う蒸し餃子だ。

 

しばらくすると、ボイルドモモが運ばれて来たのである。

おうおう、これだこれだ。

フッフッフ、この輝き、この色艶。

私の眼は確かだったのである。

ハッハッハ、

私の五感はネパールでも勝利したのである。

 

そして、一口。

ややっ!11、おおっ11、これは...11

ああー、ああああああああああああああ、15

 

       つづく なのだ!

 

帰ってきた「赤いサリーの女」

歴史は繰り返す

ジャッジャン、ジャジャジャン。

 

そうなのである、また、あの、

歴史文化友好ドキュメンタリー青春記、

「赤いサリーの女」が帰ってきたのである。

ヒューヒュー。

 

お待たせいたしました。

長い年月を得て、そしてなおかつ、

バージョンアップして帰ってきました。221

 

あなたなら、この違い、きっとわかるはずです。

ハッハッハ7、ウワッハッハ717

 

「赤いサリーの女」番外-カトマンズ食事編125

 

いや~、ネパールは本当にいいところだ。

物価は安いし、景色もいいし、

フッフッフ、

このまま、在ネパール日本人と言うのもいいのかも、17

と考えながら、夢にまで見ていたポカラからカトマンズに

戻ってきたところだった。

 

実は、ポカラでは、ほとんど一人で、

食事も観光者向けのレストラン(レストランと言っても汚~い食堂だ)で、

食べていたのである。

 

メニューと言えば、バッファローの肉料理とモモと言う、

餃子のようなものがほとんどだった。

バッファローの肉も美味しいのだが、

モモが、またまたおいしいのだ。271

餃子と同じで、フライドモモ7、ボイルドモモ10、スープモモ11、そして普通のモモ13

 

これはホントやみつきになる味なのだ。

これはもしや、餃子の原点ではないだろうか?

もうモモなしでは生きていけな~い。

と、思うほどであった。

 

しかし、今食べているモモは、観光客向けの店のものなのだ。

もしかすると、現地の人はもっと美味しいモモを、

自分たちだけが、食べているかもしれない。

ぬぬっ、それは許せない、私も食べてやるのだ。

フッフッフ、待ってろよ、

本物のモモ君、今食べに行くからね~

 

なんて甘い考えでいたのである。

しかし、ここはカトマンズ、

コンビニはなくてもネパールの首都である。

モモを出している地元の食堂は山ほどある。

 

どの店がおいしいかわかるはずもない。

フッフッフ、見てろ、うまい店を探し出してやる。

 

東京でいえば、青山の表参道のような通りの、

ラジンパットから少し入ったところの店に決めたのである。

ほっほっほ、私の五感は、ここだと言っているのだ。

戸をあけて、

 

私:「ナマステー」(こんちは~)

おやじ:「ナマスカー」(へい、いらっしゃい)

 

フッフッフ、もう私もれっきとした、在ネパール日本人なのだ。

むむっ、しかしこの在ネパール日本人と言うのは、

聞きなれないせいか変な感じがするのである。

と言うことで、今後は在ネ日本人とするのだ。

 

おおっ、これならなかなかしっくりいくのだ。

 

と言うところで、終わってしまうんだな~。

この続きは、またいつ復活するかわからない、

「赤いサリーの女」番外-カトマンズ食事編(後)

を楽しみにしていてくれたまえ。

 

それでは、乞うご期待を!

ハッハッハッハッハッハッハッハハーッ。

 

 

 

「赤いサリーの女-最終編-」

とうとうシリーズも最終回を迎えました。

本来ですとまだまだ続くはずだったのですが、

一部の反マニアから、マニアック過ぎると言うことで

批判を受け、ブログ自体を占拠されそうになれかねないので、

強制撤収執行による、特別最終偏となりました。

 

また、大部分の熱狂的なファンの皆様には、

多大な迷惑をおかけしますが、シリーズは今回で終了となります。

 

それでも、本来の続きが見たい、と言う方には

中建書店により、シリーズが文庫本化されることに

なるかもしれません。

 

それでも、

と言う方には、また番外特別編でお会いしましょう。

 

では、最終編です。

 

ポカラは何もないところと言いましたが、

実は、世界有数の物があるんです。

はっはっは、

お待たせしました、カメラの用意はいいですか?

 

これだ!

img030_convert_20090524121600.jpg 

これは、世界の屋根、ヒマラヤ山脈のアンナプルナ連峰のマチャプチャレである。

フハッハッハ、世界級ですぞ。

これは、ポカラのペワ湖のボートの上から撮った写真である。

 

これが、世界のネパールなのだ。

写真で分かるように、1990年3月26日である。

 

ちなみに、私がネパールに来るきっかけとなった、河島英五は

1980年2月に訪れたそうだ。

私の約10年前だ。

10年前と言うと、山はやはりこうだっとだろう。

しかし、町の生活や、交通事情はまったく違っていたようだ。

 

今年は2009年、来年はネパール旅行から20年となる。

はたして、同じ景色が見ることができるのであろうか?

もう一度、確かめることは出来るのだろうか?

そしてその日はいつ来るのだろうか?

 

河島英五は、「ノウダラの女」は、赤いサリーの女は、そして、ポカラは

なぜ私をここに導いたのか?

 

私の前世はもしかしてネパールのポカラに住む農夫だったのかもしれない。

 

私はここへ導いてくれたすべてのものに対して、

感謝の気持ちを忘れないと誓い、ポカラを後にするのであった。

 

2010年3月 ネパールへの旅立ちは実現するのか...。

急募:ネパール赤いサリーの女ツアー

 

最後に私がポカラの山歩きで出会った人々です。

img034.jpg 

山の暮らし

img111.jpg 

赤いサリーの女???

 

惜しまれつつも、これにて終わりとします。

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